アナタハ シリタイ デスカ?
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新年度の元旦4月1日の話。
12時ごろにのそのそと起きて茶を沸かしテレビを点けた。天気のいい日曜の昼間、あえてNHKの のど自慢 を観てみた。

ニュースを見れば殺伐とした事件ばかりの昨今だが、そんな時代だからこそなのか自分はこの番組が嫌いじゃない。

たださすがに昔はあまり好きではなかった。
その街に住む見ず知らずの人同士が集まってどこかの誰かの歌を聞いて手拍子で合わせている感じが嘘臭かった。
違和感を感じていた。

しかし世が世、時代が時代なら、
歌好きで人の前で何かをするのが好きな人らであれば同じ街に住んでいればもう既に面識があったり、どこかでの縁があっても本来おかしくない筈なのだ。
そこに違和感を感じたのは、街の中での世代を越えた人の縁などというものが想像も出来ないくらいほぼなくなっていて、作れなくなっている時代であると子供ながらに無意識に感じ取っていての反発だったのかもしれない。
地方であっても都市での人同士のつながりは、会社や学校により分断完結しているというのがこの時代のデフォルトの感覚ではないか。


のど自慢に出て歌っている人らは、
その街に住む、歌が好きな、きっと絵に描いたような善良な人らで、その社会に集う場があれば、この番組への出演を機にこれからも集まって歌うようなことがあったのかもしれないが、おそらくはこの番組でのこの舞台が今生で最初で最後の縁になるのだろう。

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観たのは大分昔のことになるが
井筒和幸監督の映画 のど自慢 ではそれぞれのキャラクターによる街の風景の共有とか、歌い手のそれぞれが思いもかけない人の縁でどこかでつながっている感じなどが、もっと織り込まれていてもよかったのではないかなぁ。

ありふれた地方のとある街での、ひょっとしたら現実にあるかもしれないそれぞれの人生と生活の描き方は好きだったけど。

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以上のような感覚と想いの反映もあってか地域の伝統の祭りというものへの関心が自分の中で高まっている。
尊く、稀有なものだなと。
人を結びつけるワークというものの重要性を昔の人らはどこで誰に教わったのだろうかと。

それにしても
岸和田のだんじり祭りとか
天神祭りとか
東北の奇祭とかでもいいけど
映画の題材として地方の祭りが使われたものを全く観たことがないのだが
これは偶然ではないだろう。

地方や地域のつながりというものは、
メイソンの戦後の中で滅びゆくものとしてしか描かれなかったのだ。
震災からちょうど一年ということで 被災地のドキュメントをたくさん放送している。
その中で映される 被災者の人らが避難所で配給の列などに整然と並びしっかりと秩序を守っている姿。
それを見た海外の人らが驚いたというが、大変な目にあっても美徳を守るその姿勢には本当に頭が下がる。

地域共同体というものが生きている土地柄だから という部分もあると思うが、日本という視点で見ると、
普段の平常の社会の中で 秩序 ルールに則っていれば 食べられる 生きていける という 
安心感・信頼・学習があるから、混乱に乗じての暴動や奪い合いが起きないのではないか?
普段から 力ずくで 早い者勝ちで という価値観が社会で肯定され それ一つに支配されていたら、
社会的混乱が発生した時には ストレートに暴動と略奪だろう。

安定した秩序が 社会の人々の行動の中に徳を生み
徳のある力を持つものこそが 安定した(固定を意味しない)秩序を社会に生む。

またそれとは別に
日本人が電車が遅れたときなどに 異常に駅員さんに食って掛かるという姿勢と 
大規模災害などでルールを守る被災者の感覚とは表裏一体になっていると思う。
地震という理由が理解できていて 皆が同じ被害にあっているのが分かれば甘受もするが
その原因が自分にとっては顔も知らないどこかの誰かの人身事故(という自殺)であると、
(自分が常態であるならば)プロは時間を厳守するのが当然だという感覚が 
「そんなことは俺には関係ない プロだったらなんとかしろ」という言葉を引き出すのではないか
とか そんなことを考えた。

被災地と そこに住む皆さんの生活の 一日も早い復興を願い お祈り申し上げます。

●認知症要介護高齢者の 介護施設虐待問題

ヤマザキパンのパン
市場のマグロ
殺伐とした戦場での 緊張を和らげるための 従軍兵士同士の不謹慎な軽口


問題を起こした 現場で働く介護職員の感覚としては
上記の感覚の延長が 現場で常態化して 訂正される機会のないまま 事件発覚となってしまったのだろう。

目の前で 人間らしい愛嬌のある反応をしてくれない存在が 
本来心を持った人間であると 思いを馳せながら作業が出来るようにするために 
人的時間的余裕が必要な 現場でのスピードと効率を 優先しすぎていい場所ではないところの代表だ。

密室での過度な作業効率の追求は 効率追求者にストレスを催させ
効率を妨げるものに対しての 怒り・憎しみとなって蓄積される。
だからこそ 素人の感覚を持ったたくさんの人が 補助としてでも現場に携わって
常に風通しをよくし 密室化させるべきではない。

そのためには
まず自費で学校に通って 資格を取ってからでないと 
弱い立場としてしか現場に入れないという現状のシステムを再考する必要もあると 私は思う。

社会全体が高齢化しているのだから 
自宅の近親者への介護などでも活かせる実習と座学を 数回の無料の講習で テストありで実施し
身分保障と 最低限の知識と技能を持っていることの証明として
予備役のような形で 人材を社会にストックさせることが重要ではないか。

介護の準資格を持つことで
介護保険料が数%安くなるというようなインセンティブも有効かもしれない

地域の防災活動に従事する 消防団にも 国からお金が下りているのだから
地域の家族社会の生活の防衛に当たっている 介護職というものの
技能教育と参加が 自費のみというのには違和感がある。

消防士と 消防団で 協同体制ができているように
本来の有資格介護職と 第二介護職員で 役割分担は可能であると考える。


介護という仕事や職業は
教育、警察、防災、医療などと同じような 社会を守る仕事であり仕組みの一つだと思う。
個人それぞれのただの資格職と考えるのは間違いだ。

パソコン 牛丼 テレビの価格が下がったのは
機能上昇して 生産性上げて コストカットしての 企業間競争の結果だろう。
市場のマネー供給量を潤沢にしたところで 物価に反映されるか?
ましてや 労働者の給与に反映などすることはないと ここで断言する。
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物価が下落という一方で ブランド商品とか 買えている人はいるわけだろう?
(まぁ 昔ほどブランドものの売れ行きよくないような気もするが)
マンションとか? 
この地震の影響とか 発生予測ある中で 人生設計と購入計画見直しするよ。
そんなマンションの価格を金融政策で上げる気?
(勢いで買うものだから 大丈夫?)
結局国策で 市場のマネー潤沢にして 価格吊り上げたいだけちゃうんか

インフレでうれしいのは 物も作らず 金だけ動かしている連中だけだ

市場マネーは 実体経済にはむかわない
まずたっぷりと 金融商品市場で 楽しく遊ぶだけ
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投資という名目で投機を生業にしている人らが 色めくだけだろう。
しかし 上の側での活発な取引などが 下の方にトリクルダウンとして全く普及しない。

若年者の不安定な雇用などは 既に構造的な問題であって 景気循環的なものではない。
好況が安定的な雇用などには結びつかないことは この10年間で証明済みだ。

国内外の不安定要因山積みしている中で
構造的にあがることのない物価を 数値目標にして 
市場へのマネー供給だけは 確実に行われる状況が これからやってくるのだ。
それは誰のためなのだろう?

製造業の電気料金問題などもある中
本当にインタゲが有効などと考えているなら狂気の沙汰だ。

前提となる状況は 一年前の3.11に変わっている!!




まぁマネーの供給量を増やすための方便なのかな。
事態は最終局面を迎えている。
新しい世界へ向けての 体制変更を迅速に遂行しなければならない。
戦略は世界観から発生する そして世界観とは物語だ
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戦略は状況認識から 状況認識≒世界観か
状況認識は最初から 何に対しての状況か どの次元で見るべきか 固定されている

対して世界観は 今この世界を どんな次元で切り取り捉えるかという問答だ

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日本に戦略がないとしたら 日本全体を貫く物語=世界観が欠如しているのだろう
世界観から戦略は起こる
世界観を胸に抱きながら 現実の世界を俯瞰したとき 世界構造の概観が目に映り 
目的と目的までのルートが 浮かび上がってくる
今現在の 目の前の力と構造が全てとする現実主義では
その力と構造の そもそもの意味が分からないだろう

自分はマルキストというわけではないが
マルクス主義は近代を代表する物語であり 世界観だった
これに感化されたインテリたちが 闘争を繰り広げたが 
資本主義の恩恵に預かれていた時代に 闘争の意味は薄い 学生の間だけの熱病だった人ばかりだろうけれど、
労使協調路線 組合への配慮などの形として 時代としての成果はあったのではないかと思う

そしてまた 東側国家だけでなく
マルクス主義という世界観に対する カウンターとなることを意識して
日本をはじめ 先進資本主義国の支配者は運営していたはずだ

社会共産主義という言葉は バラ色のファンタジーの世界を意味していた
その国の外にいて 現実を知るまでは だが
これに対抗する形で アメリカドリーム という言葉が 再度謳われ
同盟資本主義国への憧れを煽り掻き立てられた

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ビジネスでの成功などが この時代のアメリカンドリームだったのだろうが
本来は 権益が主張されていない 土地に埋蔵する資源などを 
資本によって個人が独占しての一攫千金を 指していたのだ。
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しかし20世紀を目前に
冷戦終了 アンチテーゼ・カウンターとしての 社会共産主義が消えて
追いつくべきアメリカをも経済力で追い越したのに
戦後粛々と積み上げてきた 富と稀有な労使観・モラルを 
グローバル化の波をかぶる前に バブルの後始末の中に溶かし込んでしまった


新しい 日本全体の利益 目指すべき物語=統合戦略のないまま、
かつて目指す方向が明確だった キャッチアップ・高度成長時代の 中央集権的政治体制を 
既得自省権益守株を優先し温存 省庁の壁を越えないセクト化された官僚主義 
そしてその下にある
内閣総理大臣という意識統合体を コロコロと挿げ替える政府を頂く
統合失調症状態の 迷走国家日本

みんな とりあえずの寄る辺が欲しくて 
しょーもないウヨクや 否定するだけのサヨク に流れたり
商業作品のフィクションに埋没してやりすごそうとしている


ずるい大人は言う 
自分の人生だけを見ていろ 足元だけを見て 
これまでの道を踏み外さないように歩け

FUCK!
この国に必要なのは 時代にそぐわない統治体系の更新と 全ての物語を飲み込む新しい物語だ

ちなみに 宗教も 物語であり 世界観だ
人間のためというよりも 魂のための

注意!以上の話はステマです!
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